年譜

グリム兄弟
     曽祖父は宗教局評定官で、ドイツのヘッセン侯国ハーナウの主席牧師だった。
     祖父はシュタイナウの牧師を50年務めた。

     1751年 父フィリップ・ヴィルヘルム・グリムが、シュタイナウで生まれる(〜1796年1月10日、享年45歳)。
     ハーナウやマールブルクで法律を勉強し、弁護士を経て、ハーナウの町役場の書記になる。

     1755年 母ドロテーア・チンマーが、ヘッセン侯国の官吏の娘として首府カッセルで生まれる(〜1808年5月)。

     弁護士のがハーナウで知り合う。

     1783年2月 が結婚する。九人の子供をもうけた。
     長男フリードリヒ・ヘルマン・ゲオルクは、生後まもなく死去。

     1785年1月4日 次男ヤーコプ・ルートヴィヒ・カール・グリムがハーナウで生まれる。 

     1786年2月24日 三男ヴィルヘルム・カール・グリムがハーナウで生まれる。  

     1787年 四男カール・フリードリヒがハーナウで生まれる(〜1852年)。商人としての修業を積んだ後、1814年対
     ナポレオン戦に志願兵として従軍。銀行に勤めたり、簿記や英仏語を教え、独身のまま死去。『複式簿記入門』などを書く。

     1788年 五男フェルディナント・フィリップがハーナウで生まれる(〜1844年)。ライマー書店の校正係を勤めたり、
     本屋などいろいろ試みたが、旨くいかず、独身のまま死去。伝説や昔話を出版。『ドイツ伝説集』に少し貢献する。

     1790年 六男ルートヴィヒ・エーミルがハーナウで生まれる(〜1863年4月)。カッセルの美術学校の教授。画家となり、
     グリム兄弟の肖像をたくさん残し、グリム童話集『子どもと家庭の童話』の挿絵を書いている。

     1791年 七男フリードリヒは、生後まもなく死去。
      がシュタイナウの領地主務官兼法官に任命されたので、一家はシュタイナウに引っ越し、官舎に住む。
     グリム兄弟は、ここで少年時代を過ごした(〜1798年)。 

     1793年 妹シャルロッテ・アマーリエ(ロッテ)が生まれる(〜1833年6月、享年40歳)。女友達が童話の宝庫となる。

     1794年 八男ゲオルク・エドアルドは、生後まもなく死去。

     1798年 この年以後、ヴィルヘルムは絶えず病気に悩まされるようになる。
      グリム兄弟はカッセルに引っ越し、の姉ヘンリエッテの援助でリュツェーウム(古典語高等中学)に入学する。

     1802年春 ヤーコプ伯母の援助でマールブルク大学に入学し、法律学を学ぶ。
      ヴィルヘルム、喘息の発作におそわれ、病床生活を送る(〜半年間)。

     1803年春 ヴィルヘルム伯母の援助でマールブルク大学に入学し、法律学を学ぶ。 

     大学時代 ザヴィーニ助教授に熱心に師事し、公私にかけて一生の方向を決定されるような影響を受けた。

     1805年1月末 ヤーコプ、大学のザヴィニー助教授に招かれてパリへ行く(〜9月)。 
     8月 、カッセルに引っ越す。
     10月 ヤーコプが大学を卒業し、グリム兄弟はカッセルに戻る。

     1806年 グリム兄弟、童話や伝説を集め始める。
     1月 ヤーコプ、ヘッセン侯国の陸軍省の書記補に任命される(〜1807年に仕事の激務に耐えられなかったので退職)。 
     5月 ヴィルヘルム、法律の国家試験を受ける。
     10月末 カッセルがフランス軍に占領され、陸軍省がフランス軍の物質調達庁になる。
     ヴィルヘルム、国家試験に通って大学を卒業する。

     1807年 グリム兄弟、雑誌≪新文学報知≫に古いドイツ文学についての研究を前後して初発表する。
     グリム兄弟、雑誌≪新文学報知≫やアヒム・フォン・アルニム編集の機関誌≪孤独の慰め、隠者のための新聞≫
     などに寄稿し始める。
     ヘッセン侯国は、ヴェストファーレン王国に合併される。
     暮れ カッセルに来訪したアルニムに励まされて、本格的に童話の収集に取りかかる。

     1808年7月 ヤーコプ、カッセル近郊のヴィルヘルム丘に設けられたジェローム王直属の宮廷司書となる。

     1809年2月 ヤーコプ、参事院法務官にも任ぜられる。
     4月 ヴィルヘルム、ハッレ大学教授の治療を受けるため、ハッレに行って療養する(〜9月)。
     9月 ヴィルヘルム、ハッレで一緒になった作家クレメンス・ブレンターノと共にベルリンのアルニムを訪問する。
     12月 ヴィルヘルムはベルリンからの帰途、アルニムの紹介状を持って、ワイマルにゲーテを訪問する。 

     1810年1月2日 ヴィルヘルム、健康になってカッセルに戻る。
     10月25日 苦心して集めた民族童話の内、49編の原稿をブレンターノに貸すが、ついに戻って来なかった。

     1811年 ヤーコプ『古いドイツの職匠歌について』を、ヴィルヘルム『古いデンマークの英雄歌、
     物語詩とメルヒェン』を処女出版する。
     6月14日 発作がぶりかえしたヴィルヘルムは、ヤーコプに宛てて告別の手紙を書く。
     11月 カッセルの王城が火災に会い、全焼する。
     暮れ〜 自宅で読書会「金曜日の花輪」を開く。

     1812年 共同著書『ヒルデブラントとハドゥブラントの歌、及びヴェッソーブルンの祈り』を出版する。
     12月25日 共同編集『子どもと家庭の童話』初版をベルリンのライマーが経営する実科学校書店から出版し(〜1857年)、
     大好評を博す。ベッティーナ・フォン・アルニムと彼女の子供に捧げられた。
     グリム童話として有名なものが、殆ど収録されている。
     世界中の国々で翻訳出版され、童話オペラやバレエ、人形芝居、映画になる。

     1813年10月中旬 連合軍がナポレオン軍に勝ったため、後にヘッセン選帝侯が帰還する。
     12月 ヤーコプ、ヘッセン侯国公使の書記に任命され、連合軍の大本営づきとなる。
     共同で研究雑誌≪古いドイツの森≫第一巻を自費で創刊する。 

     1814年1月初め ヤーコプ、フランスに奪われたドイツの文化財を取り戻すため、ヘッセン公使ケラー伯爵
     についてパリへ旅立つ(〜6月末)。
     2月15日 ヴィルヘルム、カッセルの選帝侯博物館内の図書館の書記に任命される(〜1829年)。
     3〜4月初め ヤーコプ、パリへ行く陣中、ディジョンで生活回顧の手記「わが生活省察」を書く。
     4月16日 ヤーコプ、パリに着く。
     9月半ば ヤーコプ、ケラー公使の随員としてウィーンへ旅立つ(〜1815年6月)。
     9月末 ヤーコプ、ウィーンに到着し、ヘッセン侯国の公使館書記としてウィーン会議に出席する(〜1815年6月)。

     1815年1月 共同で研究雑誌≪古いドイツの森≫第二巻、共同編集『子どもと家庭の童話』初版第二巻を出版する。
     ヤーコプ、論文「イルメンの道と柱(ゲルマン民族の神殿)」『古いスペインの物語詩集』を出版する。
     9月 ヤーコプ、ウィーン会議に出ていたプロイセン宰相ハルデンベルク公の依頼で、プロイセン国の各地から
     フランスに持ち去られた貴重な文献を探して取り戻すため、パリに旅立つ(〜12月)。 
      ヴィルヘルム、ライン旅行に行き、ハイデルベルクでゲーテに会う。
     共同著書として中世叙事詩『哀れなハインリヒ』と北欧神話『古いエッダの歌』を出版する。

     1816年 共同で研究雑誌≪古いドイツの森≫第三巻を出版する。
     4月16日 ヤーコプ、カッセルの選帝侯博物館内の図書館の次席司書官に任命される(〜1829年)。  
     共同編集『ドイツ伝説集』第一部を出版する。末弟ルートヴィヒに捧げられている。
     ヴィルヘルム、ワイマルにゲーテを再訪する。

     1819年1月 グリム兄弟は、共にマールブルク大学から名誉博士の学位を贈られる。 
     ヤーコプ『ドイツ文法』第一部を出版する。
     共同編集『子どもと家庭の童話』再版をルートヴィヒの銅版画をつけて出版する。  

     1822年 妹ロッテがルートヴィヒ・ハッセンプフルークと結婚する。6人の子供をもうけた。 
     「ハッセンプフルーク」の「フ」は小さい「フ」です。
     共同編集『子どもと家庭の童話』再版第三巻注釈編を出版する。
     ヤーコプ『ドイツ文法』第一部の改訂再版を出版する。

     1823年12月 ヤーコプの論文「標準ドイツ語の形容詞について」がケーニヒスベルク王立協会から授賞される。 

     1825年 ヴィルヘルムがドロテーア・ヴィルト(ドルトヒェン)と結婚する。彼女は10代半ばから童話を提供し、
     終生、童話収集に協力した。 
     共同編集『子どもと家庭の童話』の小さい版をルートヴィヒの銅版画をつけて出版する。

     1826年 共訳『アイルランドの妖精童話』を出版する。  
     ヤーコプ『ドイツ文法』第二部を出版する。

     1827年秋 詩人ハイネ来訪。ルートヴィッヒ、ハイネの肖像を描く。 

     1828年 ヴィルヘルムの長男ヘルマン・グリム生まれる(〜1901年)。 
     ヤーコプ『ドイツ法律古事誌』を出版する。
     ヴィルヘルム『ルドルフ伯』『ルーネ文字の文学について』を出版する。 

     1829年 ヴィルヘルム『ドイツ英雄伝説』を出版する。 
     2月 ヤーコプ、図書館の首席司書官の席が空いたので、後任になるための嘆願書を提出するが、却下される。
     10月 グリム兄弟はハノーファー王国からゲッティンゲン大学司書官に任命される。  
     12月 ゲッティンゲン大学に移る。

     1830年1月2日 ヤーコプ、ゲッティンゲン大学司書官兼正教授として宣誓する。 
     4月 ヴィルヘルム、副司書官として宣誓する。
     5月10日 ヤーコプ、ゲッティンゲン大学で初講義をする。
     7月 パリで七月革命が起き、ドイツにも激動。 
     11月13日 ヤーコプ「郷愁について」ゲッティンゲン大学で就任講演する。
     ヴィルヘルム『ヒルデブラントの歌』を出版する。

     1831年 グリム兄弟「自伝」を寄稿した『ヘッセン国の学者、文士、芸術家の歴史資料』が出版される。 
     ヤーコプ『ドイツ文法』第三部を出版する。ヴィルヘルムに捧げられている。 
     ヴィルヘルム、助教授に任命される。

     1835年6月 ヴィルヘルム、正教授に昇進する。 
     ヤーコプ宮中顧問官の称号を受ける。
     ヤーコプ『ドイツ神話学』二巻とタキトゥスの『ゲルマニア』を出版する。

     1837年 ヤーコプ『ドイツ文法』第四部を出版する。 
     共同編集『子どもと家庭の童話』三版を出版する。
     11月18日 グリム兄弟を含むゲッティンゲン大学の七教授は、ハノーファー国王が一方的に憲法を破棄した事に
     対する抗議書を大学当局に提出する。
     12月14日 グリム兄弟を含む七教授に免職辞令が渡される。
     12月17日 ヤーコプとニ教授、ハノーファー王国から追放され、カッセルに亡命する。
     ヤーコプ、美術学校教授だったルートヴィヒの家で暮らす。
     七教授はドイツ各地から尊敬と同情を得、ゲッティンゲン大学七教授救援委員会が作られる。

     1838年 ヤーコプ、弁明書『彼の免職について』を出版する。
     ヤーコプ『十世紀と十一世紀のラテン語の詩』を出版する。 
     2月末 ヴィルヘルムは、ライプチヒ大学のモーリッツ・ハウプトから『ドイツ語の辞典』を作るよう勧められる。
     ヴィルヘルム、中世文学の学問的研究『ローラントの歌』を出版する。
     8月 グリム『ドイツ語辞典』を予告し、仕事に着手する。
     10月 ヴィルヘルムも、一家と共にカッセルへ移る。

     1840年 共同編集『子どもと家庭の童話』四版を出版する。
     ヤーコプ『慣習法令集』第一部と第二部を、ヴィルヘルム『コンラート・フォン・ヴュルツブルクの金鍛冶』を出版する。 
     11月 ベッティーナ達の尽力もあって、プロイセン国王からプロイセン科学アカデミー会員兼ベルリン大学教授
     としてベルリンに招かれ、地位と名誉を回復する。

     1841年3月19日 ヤーコプヴィルヘルム夫妻子供3人はベルリンへ移り、大公園ティーヤガルテンの
     西南端レンネ街に住む。
     学士院会員としてプロイセン国王に謁見する。
     4月30日 ヤーコプ、ベルリン大学で就任講義(〜1848年大学での講義をやめる)。
     5月11日 ヴィルヘルム、ベルリン大学で就任講義(〜1852年大学での講義をやめる)。
     10月末〜 ヴィルヘルム妻子と共に故郷シュタウナウやハーナウを訪れ、ライン河をケルンまで下る旅行をする。

     1842年2月3日 ヤーコプ、科学アカデミーで「ドイツの異教時代から発見された二つの詩について」講演を行う。
     5月 ヤーコプを含む30人は、プロイセン国王が設定した学芸の功労章プール・ル・メリト勲章を受賞する。 
     ヤーコプ『慣習法令集』第三部を出版する。
     12月11日 ヴィルヘルム、科学アカデミーで「キリスト像の起源についての伝説」について講演を行う。

     1843年 共同編集『子どもと家庭の童話』五版を出版する。
     8月初め ヤーコプ、医者の勧めで過労からの保養旅行としてイタリアへ行く。 

     1844年2月24日 ホフマン事件が起こる。 
      アンデルセン来訪。
     数週間後ヤーコプはスカンディナヴィアへ旅行に行く途中、アンデルセンを訪問する。
     12月5日 ヤーコプ、科学アカデミーで「イタリアとスカンディナヴィアの印象」について講演する。

     1845年暮れ アンデルセンヤーコプは再会し、ヴィルヘルムは初めて会う。

     1846年9月24日 第一回「ドイツ文学者会議」がフランクフルト・アム・マインで開かれる(〜9月26日)。
     ヤーコプは議長に選ばれ、「精密でない学問の価値について」講演を行う。ヴィルヘルム「『ドイツ語辞典』
     に関する報告」を行う。   

     1847年9月 第二回「ドイツ文学者会議」がリューベックで開かれ、ヤーコプは議長に再選される。  

     1848年5月 ヤーコプ、フランクフルト憲法制定国民議会の議員に選ばれ、出席する(〜10月2日脱退する)。
     ヤーコプ『ドイツ語の歴史』を出版する。

     1849年 ヤーコプ、科学アカデミーで「学校、大学、アカデミーについて」講演を行う。 

     1850年 共同編集『子どもと家庭の童話』六版を出版する。
     ヤーコプの論文「所有のことば」ヴィルヘルムの論文「フライダンクについて」を発表する。      

     1851年 ヤーコプ、科学アカデミーで「言語の起源について」講演を行う。 

     1852年 ヴィルヘルム、科学アカデミーで「韻の歴史について」講演を行う。
     5月初め 共同編集『ドイツ語辞典』の第一回配本する。  

     1853年 ヴィルヘルム妻子と共にライン河畔のボンへ旅行に行き、ジムロックを訪れる。
     7〜8月 ヤーコプは、スイス、南フランス、ヴェニス、オーストリア、ボヘミアを一周する。

     1854年 共同編集『ドイツ語辞典』第一巻をヒルツェル出版社から出版する(〜1961年)。
      
     1856年 共同編集『子どもと家庭の童話』六版第三巻の改訂版を出版する。 

     1857年 共同編集『子どもと家庭の童話』七版(最後の版)を出版する。 
     ヤーコプ、アメリカの学芸アカデミーの在外会員に選ばれる。

     1859年1月 ベッティーナ・フォン・アルニムが死去。 
      ヴィルヘルム、チューリンゲンに保養旅行をする。
     10月25日 ヘルマン・グリムとギゼラ・フォン・アルニムが結婚する。
     11月10日 ヤーコプ、シラー生誕百年祭に科学アカデミーで「シラーをしのぶ講演」を行う。
     12月16日午後3時 ヴィルヘルム・カール・グリムがベルリンで死去、享年73歳。
     12月20日午前9時 ヴィルヘルムが埋葬される。

     1860年 ヤーコプ、科学アカデミーで「老年について」講演を行う。
     7月初旬 ヤーコプ、科学アカデミーで「ヴィルヘルム・グリムをしのぶ」追悼講演を行う。
     共同編集『ドイツ語辞典』第ニ巻を出版する。

     1862年 共同編集『ドイツ語辞典』第三巻を出版する。 
     ヤーコプ、科学アカデミーで「鳥の眠りについて」講演を行う。
     ベルリンに滞在していた日本の遣欧使節の内三人がヤーコプを訪問する。

     1863年 ヤーコプ『ヴィルヘルム・グリムをしのぶ講演、老年についての講演』を出版する。
     6月25日 ヤーコプ、科学アカデミーで「こだまについて」講演を行う。
     ヤーコプ『慣習法令集』第四部を出版する。 
     9月20日 ヤーコプ・ルートヴィヒ・カール・グリムがベルリンで死去、享年78歳。

     1867年 ドロテーアが死去。

     1868年 『ドイツ語辞典』が、北ドイツ連邦の首相の提案で国民的事業として援助を受ける。

     1887年 桐南居士氏がグリム童話を翻訳した『西洋古事、神仙叢書』(10話)が出版される。これはグリム童話の最初の
     邦訳だと思われる。

     1893年 エーレンベルク修道院の司書をしていた神父が『子どもと家庭の童話』の初稿原稿(1810年にブレンターノに
     貸した原稿)を発見する。
     フンパーディンクが作曲した童話歌劇「ヘンゼルとグレーテル」が上演される。

     1896年 ハーナウ市の中央広場に、世界中から集められた寄付金で兄弟のため国民記念碑の銅像を建てる。

     1960年 カッセルの市立州立図書館長のデーネッケ博士が、同市と州政府の援助により、同図書館内に
     グリム兄弟博物館を作り、館長を務める。

     1961年 グリム『ドイツ語辞典』(全16巻32冊)が完結する。 

     1975年 レレケ教授が『子どもと家庭の童話』の初稿原稿を復刻した『グリム兄弟の最も古いメルヒェン収集』
     が出版される。

     グリム兄弟という時は、次男ヤーコプ三男ヴィルヘルムだけをさす。二人は、大学入学の食い違い期間
     と旅行期間を除き、終生一つ屋根の下で生活を共にした。
     民族学や言語学、伝説・童話研究を学問的にした文献学者で、211の童話と579の伝説を世に送り出した。

     参考図書:『グリム兄弟』高橋健二 新潮社
グリム兄弟のページへ

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