年譜

オー・ヘンリー
     1862年9月11日 ウィリアム・シドニー・ポーター(オー・ヘンリー)、アメリカ合衆国ノースカロライナ州
     グリーンズボロで医者の息子として生まれる。

     1865年(3歳) 、死去。の妹である未婚の叔母に育てられる。
     は「永久運動」の研究に熱中して医業を顧みなくなり、酒浸りになっていく。
     読書好きな少年期を過ごす。

     高等教育を受ける機会はなかった。

     1877年(15歳) 学校を卒業して叔父の経営するドラッグストアで働き始める。 

     1881年(19歳) 知人の誘いに乗って、テキサス州に引っ越して暮らし、田舎の牧場で働く。 
     独学でドイツ語、フランス語、スペイン語の勉強を始める。

     1884年(22歳) テキサス州オースチンに引っ越し、製薬会社の店員や不動産会社の帳簿係、テキサス州
     土地管理局の製図係などをする(〜1891年)。 

     1886年(24歳) 18歳のアソル・エスティスと知り合う。
     アソルに勧められてスケッチ風の小品を書いて雑誌に送り、稿料を貰う。

     1887年(25歳)7月 ヘンリーの人柄は認めても経済力を不安がって、アソルの両親が結婚を反対したので、
     駈け落ち同然で結婚するが、貧乏な生活が続き、が病弱で、長男は生まれてすぐ死去、長女マーガレットが
     生まれた後、産後の肥立ちが悪かったが、幸福な生活だった。
     デトロイトのフリー・プレス社から執筆を依頼される。 
     ≪アップ・トゥ・デイト≫誌に寄稿する。

     1891年(29歳) ファースト・ナショナル銀行の出納係となる。

     1894年(32歳) 文筆への憧れから新聞経営の野心を生み、月刊新聞≪偶像破壊者≫が250ドルで売りに出される
     と、銀行に勤める傍ら、新聞を買い取り、週刊誌≪ローリング・ストーン≫として刊行する(〜1895年4月27日)。 
     新聞経営のために義父や友人達から返すあてのない金を借りたり、賭博で金を稼いだり、銀行の金を一時
     立て替えのつもりで流用する。
     たまたま連邦銀行調査官の調査が行われ、収支の不足が発覚し、責任上銀行を退職しなければならなかったが、
     告発は友人達の援助や銀行側の好意で一応無罪放免となる。     

     1895年(33歳) 週刊紙≪ローリング・ストーン≫は4月27日号で廃刊になる。 
     ≪ヒューストン・ポスト≫紙の記者となってヒューストンに引っ越す。

     1896年(33歳)2月 再び銀行調査官から告発を受け、公金横領罪で逮捕され、オースチンの警察署に拘留される。
     の病状を理由に保釈の手続きを取り、ヒューストンに戻る。
     7月 裁判の当日にオースチンに出頭しないで、ニューオーリンズに行き、暫くそこで新聞記者をした後、中米の
     ホンデュラスに逃亡する。

     1897年(34歳)1月 が重態になり、その知らせを受けて帰国し、自首する。
     7月 妻アソルが8歳のマーガレットを残して死去、享年29歳。

     1898年(35歳)2月 5年の刑の判決を受ける。獄中にいながら、友人を介していくつかの雑誌に投稿を続ける。

     1901年(38歳)7月 模範囚として3年3ヶ月で出獄し、マーガレットのいるピッツバーグに行く。

     1902年(40歳)春 編集者の招きでニューヨークに引っ越し、本格的に創作活動を始める。
     ニューヨーク中を歩き回り、あらゆる階層の人間と街頭、公園、レストランなどで話をし、驚くべき速度で作品
     を発表する。

     1904年(42歳) 短編小説66編を発表する。
     処女作の短編集『キャベツと王様』(Cabbages and Kings)を出版する。

     1905年(43歳) 短編小説54編を発表する。

     流行作家となるが、アルコールで鞭打っての執筆は無理を生む。
     再婚したが余りしっくりといかなかった。

     1910年6月5日 ニューヨーク市の病院で肝硬変と心臓病で死去、享年47歳。

     1918年 学術協会により、オー・ヘンリー賞が設けられる。

     1923年 ソ連で翻訳が出ると4〜5年で100万部を越え、愛読される。  

     1930年 アメリカの白黒映画「テキサス無宿」(ジョン・クロムウェル監督)と「アリゾナ怪盗異聞」(アルフレッド・サンテル監督)が公開される。

     1931年 アメリカの白黒映画「シスコ・キッド」(アーヴィング・カミングス監督、ワーナー・バクスター主演)が公開される。

     1938年 アメリカの白黒映画「恋のカーニバル」(フランク・タトル監督)が公開される。

     1948年 アメリカの白黒映画「アリゾナ無宿」(ウォーレス・フォックス監督、ダンカン・レナルド主演)が公開される。

     1949年 アメリカの白黒映画「西部の挑戦」(ウォーレス・フォックス監督、ダンカン・レナルド主演)が公開される。

     1950年 アメリカの白黒映画「西部の侠児」(ダーヴィン・アブラハムズ監督、ダンカン・レナルド主演)が公開される。

     1952年 アメリカの白黒・オムニバス映画「人生模様」(ヘンリー・コスター、ヘンリー・ハサウェイ、ジーン・ネグレスコ、ハワード・ホークス、ヘンリー・キング監督)が公開される。

     短編集13冊、短編272編を残し、世界の十数カ国語に翻訳されている。
     死後、全集が刊行されて人気の絶頂を迎える。
     作品は「南部もの」、「西部もの」、「ラテン・アメリカもの」、「ニューヨークもの」と分かれ、
     彼自身の経験、見聞に基づいたものだそうです。

     参考図書:『オー・ヘンリー傑作選』大津栄一郎 訳 岩波書店
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