年譜

A.A.ミルン
     父ジョン・ヴァイン・ミルンは、イギリスのロンドン北の郊外モーティマー・クレセントにある私立の男子校
     ヘンリー・ハウスの校長をしていた。 
     母サラ・マリア・ヘギンボザムと結婚し、三人の息子(長兄バリー)をもうけた。

     1881年9月 次兄ケンが生まれる。

     1882年1月18日 アラン・アレクサンダー・ミルン(Alan Alexander Milne)、ロンドン西北部キルバーンで
     三男として生まれる。アイルランド人。 

     1886年(4歳) 幼稚園ワイクハム・ハウスに通い始める。

     1888年(6歳)9月 の経営するヘンリー・ハウスに入学する。

     1889年(7歳)1月 22歳のH.G.ウエルズ(1866〜1946)がヘンリー・ハウスの教壇に立ち、化学や数学を教わる。

     1890年(8歳)4月 ヘンリー・ハウスの学校誌に、アッシュダウン・フォレストへ初めて出かけた思い出を綴った
     作文「3日間のハイキング」が掲載される。
 
     1893年(11歳) 奨学生試験に合格し、パブリック・スクールのウェストミンスター校に最年少で入学し、
     両親から独立して寄宿舎に入る(〜1900年)。ここで、ケンブリッジ大学発行の諷刺誌≪グランタ≫を知った。
     在学中、パロディを学校の雑誌に載せる。

     1899年(17歳) 兄ケンを共同で書き始める。

     1900年(18歳)9月 ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに入学する。在学中、文筆活動に入り、
     イギリスで古い伝統を誇るユーモア誌≪パンチ≫との接触が始まる。

     1901年(19歳) 兄ケンと合作して、A.K.M.という筆名で投稿したが、学内誌≪グランタ≫誌に掲載される。
     以後、兄ケン合作を続ける(〜1902年6月)。

     1902年(20歳)1月 ≪グランタ≫誌の編集長となる。

     1903年(21歳) 大学卒業を控えて、学校教師になるか、インドへ行って官吏になるかと言われるが、教師は退屈
     だし、試験を受けてなる官吏も気が進まなかったので、定職に就く事を望むの願いに反して作家を志す。
     大学卒業後、ロンドンのテンプル・チェンバーズに部屋を借りて一人暮らしを始める。
     以後、恩師で、作家として先輩であるH.G.ウエルズから、惜しみない助言を得る事になる。
     タイムスやスペクテイターに関係してフリーランスの生活を始め、いろんなリテラリー・クラブに加わり、
     ハーディーやメレディスと親しく交わった。

     1904年(22歳)5月18日 ≪パンチ≫誌に初めてが掲載される。
     暮れ 仕事の売り込みに苦慮していたミルンは、生活費を切り詰めようと、ロンドンのチェルシー地区ウェリントン・スクウェア八番地
     の巡査部長の家に間借りする。

     1905年(23歳)9月 兄ケンが結婚してから、週に一度か二度はの家を訪ね、夕食を共にするようになり、
     義理の姉となったモードを交えて兄弟の親交が復活する。

     1906年(24歳)2月13日 将来について公園で思い悩む日々が続いた後で、≪パンチ≫誌の編集次長となった(〜1914年)。
     ウェストミンスター区ブロードウェー三十一番地に引っ越し、週1本の記事を書く。

     1908年(26歳) ケネス・グレアムの『たのしい川べ』(The Wind in the Willows)が挿絵なしで出版される。

     1909年(27歳) H.G.ウエルズからも賞賛された続き物の連載を≪パンチ≫誌で始め(〜1914年)、これによって
     ミルンルイス・キャロルと並び称されるほどの評判を獲得した。

     1910年(28歳)5月 「パンチ・テーブル」のメンバーとなる。
     ≪パンチ≫誌に掲載されたエッセイを集めた『その日の遊び』(The Day's Play)を出版する。尊敬する
     ジェームズ・バリに贈り、賛辞を受け取る。これが縁でバリと親しくなり、バリの率いるクリケット・チーム
     にも参加し、以後、劇作に関してさまざまなアドバイスを受ける。 

     1912年(30歳) ≪パンチ≫誌のエッセイ集の第二弾『The Holiday Round』を出版する。
     名士録に初めて名前が載る。
     12月 21歳の女流作家ドロシー・ド・セリンコート(ダフネ)と出会う。

     1913年(31歳)6月4日 A.A.ミルンドロシー・ド・セリンコートがロンドンのセント・マーガレット教会
     で結婚する。ダートムーアへの新婚旅行(3週間)の後、チェルシーのエンバンクメント・ガーデンズ十五番地
     の平屋建ての家を借りて住む。
 
     1914年(32歳) ≪パンチ≫誌からの脱却を考え始め、劇作に手を染める。
     7月28日 第一次世界大戦が勃発する(〜1918年11月11日)。

     1915年(33歳) 兵隊として第一次世界大戦に参加する(〜1919年)。
     ウォリクシャー連隊に入り、そこでや同僚の夫人をまじえて自作の童話劇を上演する。

     1916年(34歳)6月 通信将校としてフランスのソームに赴くが、塹壕病になる。
     11月 帰国する。以後、陸軍省で勤務する(〜1919年)。

     1917年(35歳) ユーモラスなファンタジー『ユーラリア国騒動記』(Once on a Time)をH.M.ブロックの挿絵で出版する
     (1925年にチャールズ・ロビンソンによる新たな挿絵が付けられた)。
     4月 処女戯曲「ワーゼル・フラマリー」(Wurzel-Flummery)がロンドンのニュー・シアターで上演される。

     1919年頃(37歳) ≪パンチ≫誌に返り咲こうとするが果たせず、腰を据えて劇作に取りかかる。以後、1920年代、
     1930年代は劇作を第一義に創作活動を続ける。
     エッセイ集『Not That It Matters』を出版する。

     1920年(38歳)1月 戯曲「ピム氏が通る」(Mr. Pim Passes By)が上演され、成功を収める。
     8月21日 チェルシーのマロード・ストリート十一番地で息子クリストファー・ロビン・ミルンが誕生する。
     エッセイ集『If I May』を出版する。     

     1921年(39歳) 戯曲「The Dover Road」がニューヨークで上演されると大当りをとった。
     8月21日 息子の1歳の誕生日に『クマのプーさん』のモデルとなった、クマのぬいぐるみをプレゼントする。
     9月 サセックスのポーリングにあるコッテージ「ディコイ」に一家で滞在する。その後、何度かここを訪れる内、
     息子は湖の白鳥を「プー」と呼んで餌を与えるようになる。

     1922年(40歳) 推理小説が大好きなミルンが、への愛情から書いて、へ捧げた唯一の長編推理小説『赤い館の秘密』(The Red House Mystery)
     を出版し、約十六年間で十三版を重ねた。この一作によって、推理小説史上にミルンの名を残した。
     子供の本を書くきっかけとなった詩「夕べの祈り」(Vespers)をに贈る。

     1923年(41歳) 「うさぎ王子」「わらわない王女」がオックスフォードの出版社バジル・ブラックウェル社
     の作品集ジョイ・ストリートに収められる(1966年にダットン社から出版)。

     1924年(42歳)11月 息子をモデルとした子供向けの童謡詩集『クリストファー・ロビンのうた』(When We Were Very Young)
     をアーネスト・ハワード・シェパード(1879〜1976)の挿絵をつけて出版し、英米で好評を博す。 

     1925年(43歳) チェルシーのマロード・ストリート十一番地から十三番地の3階建ての赤レンガの家に引っ越す(〜1939年)。
     セカンドハウスとして、東サセックス州北西のハートフィールドの村外れにある一軒家コッチフォード・ファームを購入する。
     『こどもの情景』(A Gallery of Children)を出版する。
     12月 ≪イブニング・ニュース≫のクリスマス号に、息子のぬいぐるみを主人公にした童話
     『クマのプーさん』の第一章となる原稿をJ.H.ドウドの挿絵を付けて発表する。

     1926年(44歳)10月 息子息子が使っていたぬいぐるみを登場人物にした童話『クマのプーさん』(Winnie-the-Pooh)
     をシェパードの挿絵で出版する。

     1927年(45歳)10月 童謡詩集『クリストファー・ロビンのうた』の続編『クマのプーさんとぼく』(Now We Are Six)
     をシェパードの挿絵で出版してベストセラーとなる。

     1928年(46歳)10月 童話『クマのプーさん』の続編『プー横丁にたった家』(The House at Pooh Corner)を
     シェパードの挿絵で出版する。

     1929年(47歳)5月 最愛の兄ケンが病死、享年48歳。
     傾倒していたケネス・グレアムの『たのしい川べ』を戯化した「ヒキガエル館のヒキガエル」(Toad of Toad Hall)
     がリヴァプールで上演されると好評で迎えられ、毎年クリスマスシーズン恒例の劇として上演されるようになる。

     1930年(48歳) 「ヒキガエル館のヒキガエル」がロンドンで上演される。

     1931年(49歳)10月 と共にニューヨークに到着する。ミルンにとっては最初で最後のアメリカ訪問だった。

     1932年(50歳) 探偵劇「完全アリバイ」(The Perfect Alibi)を収録した『Four Plays』を出版する。

     1933年(51歳) 『四日間の不思議』(Four Days' Wonder)を出版する。

     1939年(57歳) 亡き兄ケンに捧げた自伝『今からでは遅すぎる』(It's Too Late Now)を出版する。

     1940年(58歳) ロンドンを引き払ってコッチフォード・ファームに引っ越し、ここで一家は終生暮らした。

     1946年(64歳) グレアムの原作をミルン戯曲化した、イギリスの白黒TVドラマ「ヒキガエル館のヒキガエル」が放映される。

     1950年(68歳) 短編推理小説「十一時の殺人」を発表する。

     1951年(69歳) 最後の戯曲「洪水の前」(Before the Flood)が上演される。

     1952年(70歳)秋 心臓の発作を起こす。

     1956年1月31日 A.A.ミルンに看取られながら、コッチフォード・ファームで死去、享年74歳。
     葬儀はロンドンの教会で行われ、式の間にプーの歌が歌われ、オルガンの伴奏つきで「夕べの祈り」が朗読された。

     1966年 アメリカのダットン社がメアリ・シェパードに挿絵を依頼して、「うさぎ王子、わらわない王女」
     (Prince Rabbit, and The Princess Who Could Not Laugh)を出版する。
     ディズニー短編アニメ映画「クマのプーさん/プーさんとはちみつ」(ウォルフガング・ライザーマン監督)が公開される。

     1968年 ディズニー短編アニメ映画「プーさんと大あらし」(ウォルフガング・ライザーマン監督)が公開され、
     アカデミー賞の短編アニメ映画賞を受賞する。 

     1974年 クリストファー・ロビン・ミルンが自伝『クマのプーさんと魔法の森』(The Enchanted Places)を出版する。
     ディズニー短編アニメ映画「プーさんとティガー」(ジョン・ラウンズベリー監督)が公開される。

     1977年 前三作をまとめたディズニー長編アニメ映画「クマのプーさん」(ウォルフガング・ライザーマン、
     ジョン・ラウンズベリー共同監督)が公開される。

     1979年 クリストファー・ロビン・ミルンが自伝『クリストファー・ロビンの本屋』を出版する。

     1990年 ミルン研究の第一人者アン・スウェイトが書いたミルンの伝記『A.A.ミルン』(A.A. Milne: The Man 
     Behind Winnie-the-Pooh)が出版される。

     1994年 アン・スウェイトの『プーの輝かしき経歴』(The Brilliant Career of Winnie-the Pooh)が出版される。

     1996年 ジャッキー・ヴォルシュレガーの『不思議の国をつくる:キャロル、リア、バリー、グレアム、ミルンの  
     作品と生涯』(The Lives and Fantasies of Lewis Carroll, Edward Lear, J.M.Barrie, Kenneth Grahame 
     and A.A.Milne)が出版される。

     1996年4月20日 クリストファー・ロビン・ミルンが死去、享年75歳。

     2000年 ディズニー長編アニメ映画「ティガー・ムービー/プーさんの贈りもの」(ジュン・ファルケンシュタイン監督)が公開される。

     2003年 ディズニー長編アニメ映画「くまのプーさん/完全保存版2 ピグレット・ムービー」(フランシス・グレイバス監督)が公開される。

     2005年 ディズニー長編アニメ映画「くまのプーさん ザ・ムービー/はじめまして、ランピー!」(フランク・ニッセン監督)が公開される。

     2011年 ディズニー長編アニメ映画「くまのプーさん」(スティーヴン・J・アンダーソン、ドン・ホール共同監督)が公開される。

     ユーモア文学者。作品にはエッセイ小説4冊などがある。
     わが子への愛情から童話(息子クリストファー・ロビンの名を冠した童話4冊がある)・童謡(音譜がつけられ、
     レコードにも吹き込まれている)を書いた。
     戯曲(十数冊)はジェームズ・バリの系統を汲む喜劇が多い。

     参考図書:『名作へのパスポート』こやま峰子 金の星社
          『赤い館の秘密』大西尹明 訳 東京創元社
          『クマのプーさんと魔法の森へ』猪熊葉子 求龍堂
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