年譜

P.L.トラヴァース
     1863年 父トラヴァース・ロバート・ゴフがロンドンで海運業者の次男として生まれる。オーストラリアに移住
     して砂糖きび農園の監督などを経て、クイーンズランド州メリーバラでオーストラリア合資銀行の支店長になった。

     1874年 母マーガレットがオーストラリアで生まれる。スコットランド人の血を引いていた。
     実家はエディンバラからオーストラリアに移住し、織物製造の会社を経営するシドニーの名家だったが、生まれてすぐ
     に父親をなくし、母親も再婚するなかで、叔母のヘレン・クリスチナ・モアヘッドに育てられた。

     1899年8月9日 パメラ・リンドン・トラヴァースがメリーバラで三人姉妹の長女として生まれる。
     本名はヘレン・リンドン・ゴフといった。

     子供の頃 自称アイルランド人のの影響で、アイルランドに憧れるようになる。
     クイーンズランド州の自然と孤独感が想像力を養う事となった。詩や文章を書く事は大好きだった。

     1902年(3歳) 二女バーバラ・Ierne(通称ビディ)誕生(〜1979年)。
     の銀行の仕事の関係でブリズベーンに移る。

     1905年(6歳) 三女シセリー・マーガレット(通称モーヤ)誕生(〜1987年)。
     の銀行の仕事の関係でアローラに移る。ミニチュアの公園作りに熱中し、ジョニー・デラニーから星座を教わる。

     1907年(8歳) が死去。
     ニューサウスウェールズ州ボーラルに住む大叔母ヘレンの家に引っ越し、地元のグラマースクールに通う。

     1912年(13歳) シドニーのノーマンハースト・プライベート・ガールズ・スクールの寄宿生となる。
     学校新聞の記者として活躍し、舞台に憧れる。

     10代の頃 メアリー・ポピンズが子供たちを寝かしつけるという短いお話を書き、新聞に掲載される。

     1915年(16歳) 学校のシェイクスピア劇の「真夏の夜の夢」でボトム役を演じる。

     1916年(17歳) ローレンス・キャンベル監督に連れられ、アラン・ウィルキー主演の「リチャード三世」を観に行く。
     キャンベル監督に才能を見込まれ、指導したいと申し出されるが、家族の反対にあう。

     卒業後、大叔母の紹介でオーストラリア・ガス・ライト・カンパニーでタイピストとして働くかたわら、
     ミニー・エバレットのダンススクールに通い、シドニーで公演される劇はすべて観に行き、舞台女優をめざす。
     を雑誌に投稿する。

     1920年(21歳) J.C.ウィリアムソンのパントマイムのショー「眠り姫」で初舞台を踏む。
     キャンベル監督の紹介でテストを受け、アラン・ウィルキーのシェイクスピア劇団に入る。
     パメラ・トラヴァースに改名。パメラはゴフ一族のなかの名前、トラヴァースはのクリスチャン・ネームから採る。

     1921年(22歳) 「ウィンザーの陽気な女房たち」のアン・ページ役の一部で初舞台を踏む。

     1922年(23歳)3月 眠りにつく息子にあてた詩「母の歌」が≪トライアド≫誌に掲載されて詩人デビューする。
     4月 グランド・オペラ・ハウスで「真夏の夜の夢」でティタニア役を演じる。

     1923年(24歳)3月 キリストをうたった詩「哀歌」を≪ブレティン≫誌に発表する。
     6月「はみだし仲間のジプシーさん」を≪ブレティン≫誌に発表する。
     7月5日「乳母の子守歌」を≪ブレティン≫誌に発表する。
     9月「Song Before a Journey」を≪ブレティン≫誌に発表する。
     ≪ブレティン≫誌の常連詩人兼≪トライアド≫誌の経営者フランク・モートンに才能を見込まれ、≪トライアド≫誌
     のコラム「反撃しますわよ」を担当。詩、短い物語、レポート、批評、エッセイなどの記事を書く。
     ニュージーランドへ公演に行った時、≪クライストチャーチ・サン≫紙(以下≪サン≫紙)の新聞記者と恋に落ちる。
     11月「降参」「クライストチャーチの園の木々」を≪トライアド≫誌に発表。
     ≪サン≫紙のコラム「パメラの足跡:サン紙シドニー便り」を担当。
     舞台女優をやめて、作家への道を歩む。

     1924年(25歳)2月 イギリスに移住する。
     ≪トライアド≫誌と≪サン≫紙にロンドン生活の便りを送る(一年間)。
     12月 短編「チビちゃんデカちゃんのためのお話」を≪トライアド≫誌に発表。第二巻の「ロバートソン・アイのお話」の原点。

     1925年(26歳)初旬 を雑誌≪アイリッシュ・ステイツマン≫の編集者兼詩人AE(ジョージ・ラッセル)に送り、
     3ギニーと手紙をもらう。AEに会いに行く。AEから詩人W.B.イェイツに紹介され、二人との交流を深める。
     同誌にを発表し始め(〜1930年)、詩人としての名声を確立する。
     経済的に苦しかったので、劇作家サー・フランシス・バーナンドの娘マッジと共同生活を始める(〜1938年)。

     1926年(27歳)3月8日 短編「パンの神に似た少年のお話」を≪サン≫紙に発表。第三巻の「大理石の少年」の原点。
     3月20日 短編「踊る牡牛の不思議なお話」を≪サン≫紙に発表する。第一巻の「踊る牡牛」の原点。
     11月13日 短編「メアリー・ポピンズとマッチ売り」を≪サン≫紙に発表する。第一巻の「外出日」の原点。
     12月 「Pamela Publishes - a Newspaper!」を≪サン≫紙に発表する。

     インフルエンザやはれものや肺疾患などを繰り返す。

     1928年(29歳)夏 療養もかねて、マッジと一緒にスペインとイタリアに旅行する。
     11月 が心臓発作で死去。

     肋膜炎やプトマイン中毒などを患い、体調が悪化する。

     1929年(30歳) ≪アイリッシュ・ステイツマン≫に手紙とエッセイを寄稿。

     1930年(31歳)1月 「イタリアの絵画」を≪アイリッシュ・ステイツマン≫に発表する。
     2月 エッセイ「銅貨の裏側」を≪アイリッシュ・ステイツマン≫に発表する。
     4月 エッセイ「批評家のトレードマーク」を≪アイリッシュ・ステイツマン≫に発表する。

     1931年(32歳) 結核を疑った医者に勧められて、サナトリウムに入る(〜1932年夏)。

     1932年(33歳)夏 メイフィールドのパウンド・コテージで静養する。
     『風にのってきたメアリー・ポピンズ』を書き始める。
     単身ロシアへ旅立つ。

     1933年(34歳) AEに≪ニュー・イングリッシュ・ウィークリー≫の編集者A.R.オレイジ(1873〜1934)を紹介してもらう。
     同誌に劇の批評・エッセイ・詩を発表し始め(〜1949年廃刊)、劇の批評家としての名声を確立する。
     G.I.グルジェフの布教活動をしていたオレイジから神知学の話を聞き、グルジェフの信奉者になる。

     1934年(35歳)1月11日「天球のサーカス」を≪ニュー・イングリッシュ・ウィークリー≫に発表する。
     10月 <メアリー・ポピンズ>シリーズ(全10巻)の第一巻『風にのってきたメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins)を
     メアリー・シェパードの挿絵でレイナル&ヒッチコック社から出版すると大好評を博し、20カ国語以上に翻訳される。
     『モスクワ紀行』(Moscow Excursion)を出版する。
     詩では一流になれない事がわかったため、書きためた短編をAEに見せて相談し、アドバイスをもらう。

     1935年(36歳)7月 AEが癌で死去。
     第二巻『帰ってきたメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins Comes Back)を出版する。

     1936年(37歳) グルジェフの神知論の集会にオレイジの未亡人ジェシーと初参加し、グルジェフに会う。

     1937年(38歳) 大叔母ヘレンが死去。大叔母の遺産と、<ポピンズ・シリーズ>の印税と≪ニュー・イングリッシュ・
     ウィークリー≫からの定収入で生活が安定する。

     1939年(40歳)8月15日 ジョセフ・モーンセンル・ホーンの孫息子ジョン・カミルス・ホーンが誕生。
     12月 カミルスを養子にする。

     1940年(41歳) アメリカのニューヨークに疎開(〜1945年)。『末ながく幸福に』(Happy Ever After)を出版する。

     1941年(42歳) 子供時代の思い出(大叔母の物語)を描いた『サス叔母さん』(Aunt Suss)を出版する。
     疎開した少女の日記形式の物語『海の旅、空の旅』(I Go by Sea, I Go by Land)を出版する。
     同じ出版社だったレイナル&ヒッチコック社を介してサン=テグジュペリと知り合う。

     1942年(43歳) 戦時情報部の活動に参加して、ラジオで妖精物語を読む。

     1943年(44歳) 家の使用人を描いた子供時代の思い出『アー・ウォン』(Ah Wong)を出版する。
     第三巻『とびらをあけるメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins Opens the Door)を出版する。

     1944年(45歳) 家の使用人を描いた子供時代の思い出『ジョニー・デラニー』(Johnny Delaney)を出版する。

     1945年(46歳) イギリスに帰国。

     1946年(47歳) カミルスの教育のために、チェルシー地区のスミス・ストーリーに家を購入する。

     1951年(52歳) 「自伝風スケッチ」を発表する。

     1952年(53歳) 第四巻『公園のメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins in the Park)を出版する。

     1959年(60歳) ウォルト・ディズニーから『メアリー・ポピンズ』の映画化を申し込まれる。

     1962年(63歳) 第五巻『メアリー・ポピンズ AからZ』(Mary Poppins from A to Z)を出版する。

     1963年(64歳) 『飼葉桶の前のキツネ』(The Fox at the Manger)を出版する。挿絵はトマス・ビウィックの木版画。
     ディズニー映画「メリー・ポピンズ」の顧問となる。
     来日する。京都で禅の教えを受ける。

     1964年(65歳)8月27日 ディズニーのミュージカル映画「メリー・ポピンズ」(ロバート・スティーヴンソン監督)が公開され、有名になる。

     1965年(66歳) マサチューセッツ州ケンブリッジのラドクリフ大学の構内居住作家となり、講義、作家活動を行う。

     1966年(67歳) チェルシー地区のショーフィールド・ストリートに引っ越す。
     マサチューセッツ州ノーザンプトンのスミス大学で構内居住作家となる。

     1967年(68歳) ワシントンの議会図書館で「ただ結びつけることさえすれば」の講演を行う。

     1968年(69歳) 第六巻『メアリー・ポピンズ AからZ ラテン語編』を出版する。
     IBBYの11回大会で「子どものために書いているのではない」の講演を行う。

     1969年(70歳) 第七巻『メアリー・ポピンズのぬり絵絵本』(Mary Poppins Story for Coloring)を出版する。

     1970年(71歳) カリフォルニア州クラルモンのスクリップス大学でクラーク基金の講師となる。
     「英雄を探して」の講演を行う。

     1971年(72歳) 動物ファンタジー『フレンド・モンキー』(Friend Monkey)を出版するが不評。挿絵チャールズ・キーピング。

     1973年(74歳) 『ジョージ・イワノヴッチ・グルジェフ』(George Ivanovitch Gurdjieff)を出版する。

     1975年(76歳) 『眠り姫について』(About the Sleeping Beauty)を出版するが不評。第1部はトラヴァース版の
     アラビアを舞台にした「眠り姫」、第2部は五カ国の「眠り姫」を収録。
     第八巻『メアリー・ポピンズのお料理教室―おはなしつき料理の本』(Mary Poppins in the Kitchen: A Cookery 
     Book with a Story)を出版する。

     1976年(77歳) 神話と伝承の雑誌≪パラポラ≫の編集顧問兼定期寄稿者となり、エッセイを発表する(〜1996年)。

     1977年(78歳) 勲章OBE(大英帝国四等勲位)を授与。

     1978年(79歳) ペンシルベニア州ピッツバーグのカサム大学から名誉博士号を授与。
     スタファン・ベルクステンの『メアリー・ポピンズと神話』が出版される。

     1980年(81歳) 中東の二つの物語を再話した『ふたつの靴』(Two Pairs of Shoes)を出版する。
     <ポピンズ・シリーズ>第一巻の「わるい火曜日」が人種差別にあたるとして、サンフランシスコ・ライブラリーの
     図書から外される。1981年の改訂版で登場人物を動物に変更する。

     1981年(82歳) ジョナサン・コットによるインタビュー『子どもの本の8人―夜明けの笛吹きたち』が出版される。

     1982年(83歳) 第九巻『さくら通りのメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins in Cherry Tree Lane)を出版する。
     エッセイ「AEの死―アイルランドの英雄、神秘主義者」を発表する。

     1988年(89歳) 第十巻『メアリー・ポピンズとお隣さん』(Mary Poppins and the House Next Door)を出版する。

     1989年(90歳) ≪パラポラ≫に掲載したエッセイ集『ハチの知ること―神話・シンボル・物語論』(What the Bee Knows: 
     Reflections on Myth)を出版する。

     1991年(92歳) パトリシア・デマースが書いた伝記『P.L.トラヴァース』が出版される。

     1996年4月23日 ロンドンの自宅で死去、享年96歳。聖母マリア教会に埋葬される。

     1999年 ヴァレリー・ローソンが書いた伝記『空から彼女はやってきた』が出版される。

     2013年 アメリカ・イギリス・オーストラリア合作の映画「ウォルト・ディズニーの約束」(ジョン・リー・ハンコック監督)が公開される。

     参考図書:『P.L.トラヴァース』森恵子 著 KTC中央出版
          『メアリ・ポピンズ』前田三恵子 訳 集英社
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